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壊れたプラレールと人生の転換期

プラレールと人生3度目の転換期

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8年前の今日。全てが変わった。

私は3児を育てて働く母ちゃん。8年前は2人目を産んだばかりの母ちゃんでした。

そう、あの母ちゃんなのだ。 夫が海外出張で不在で、神田川が大雨で増水していた日で、長男が室内でプラレールを上機嫌で動かしていたのに、いつの間にか動かなくなり、みるみるうちに我が子は半泣きになっていた。
私は機体をこじ開けた。目の前にある壊れたプラレールの部品を見て、当時約4歳だった長男が 「ママは直せないよね。パパじゃないと直せないよね…」

ハッとした。その一言が人生を変え、次の日、私は半田ごてを手にしていた。
私の人生は、またそこからチャレンジし始めたのだ。

ママだから工作ができないと思われたくなくて、プラレールを修理するために電子工作を始めた。
そしてプラレールをIoT化するために、IoTを始めた。

どうして、頑張る気になったのか?それは、半田ごてを握るよりも4年前に遡ります。
上京して5年弱住んでいた横浜から東京に引っ越したばかりで、20代後半で長男を出産。 周りに知り合いも少ない中、子育てが本当に大変な日々で、初めての産休・育児休業中は孤独感が強かった。
せめてもの救いと言えば、当時住んでいた江戸川橋の商店街でのお買い物や、神社仏閣・日本庭園でのお散歩ができたことで気分転換ができたこと。

そんな中、ご近所で仲良くなった女子大生(正確には大学院博士課程)とお茶したときに、弱音を吐いてしまった。
赤ん坊だった長男をあやしながら「実は私ね、大学院で学びたかったんだ。もう私には遅いかな…アハハ…」

とポロッと本音を吐いてしまったけど、Sちゃんは真剣に聞いてくれた。
「そんなことはない!!何歳になっても遅くはない。いつだって、自分さえ諦めなければ学問の扉は開かれるから、絶対に諦めないで欲しい」

その一言で、どれだけ救われたのだろう。
だから、何歳になってもチャレンジしても恥ずかしくはない。むしろ遅いなんて事はないから、電子工作を始めることができたのだと…。

私の育った環境では、Sちゃんみたいに言ってくれる人は、正直少なかった。むしろ、反対派の方が多く、父方の親戚は猛反対をし「女性なのに工学部に行くのはおかしい」と言われたけど、それは親戚の都合が悪くなるだけであって闇深い思惑があったのだと気付いた。そういった環境の中にいると、自信が持てなくなってしまう。

Sちゃんの一言がきっかけで、"また" 自分は変わることができた。

その「また」というのは、二度目でした。

1度目の転換期

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1度目の人生の転換期は、生きる環境を変え、住む場所を変え、進みたい道に就職し、付き合う人を変えた22歳~23歳の頃。
ただ、自由には責任が伴うし、1度に4つも変えたから大変だった。
両親の猛反対を押し切って上京してきた大学卒業後の私は、最初の数ヶ月はリアルな食費1ヶ月1万円生活だった。田舎暮らしで培った自炊スキルはあれど、自家菜園も釣りもできない都会で暮らすのは初めてで、就職活動の傍ら、生活費のために夕方からバイトし、ついでに賄いを頂いて食費を節約。
その生活を数ヶ月続け、工学部卒だということで、運良く独立系SIerに内定をもらえたことで命を繋いだ。
IT未経験の私を第二新卒として内定を出してくれた最初の職場には、本当に感謝しています。
生きる道を変えることで困難なことは幾度となく訪れる。ただ、仕事で辛いことがあっても、上京したばかりの生活が想像以上にしんどかったので、どんなに辛いことがあっても、その頃をいつも思い出しながら、「あの時より楽だ」と比較することで、乗り越えられている。ただし、子育てはそれよりも大変だなと思うこともしばしば。

今が人生3度目の転換期

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辛いときに支えてくれたみんなに感謝。 だからこそ、今度は私が恩返しをする番です。
まさに、今が3度目の人生の転換期だと感じています。 かつての私と同じように、出産して仕事に復帰し、仕事と子育ての両立の困っている方々の一助になればと思い、リーダーとして周りをサポートできるようにしたい。今月からリーダーになるためのラーニングを開始しました。
40歳になったばかりで、今後のキャリアを考えたこともあります。これは生半可な気持ちでは受けられないけど、過去の気弱な自分と決別して自分を成長させたい想いが強いです。

もちろん将来の目標は諦めず、3人の子ども達の子育てが落ち着いたら、私は大学院に通おうと思っています。
仕事ではクラウドスパコンの仕事にもチャレンジ。自ら学び続けるつもりで先週、情報処理学会に入会しました。

かつての自分がそうだったように、行動を起こせば、自分は変わることができる。
だから私はブログを書いて、母ちゃんの成長過程を全世界に公開して、今日も元気に明るく生きていく。

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特別お題「わたしがブログを書く理由