追記:Livlisは2014年をもってサービスを終了されたそうです。これまでありがとうございました。
2011年5月の日記でLivlis (リブリス)について書きましたが、それがきっかけでTV取材の依頼をいただきました。
「何故、わざわざLivlisを使うの?手間掛かるんじゃないの?捨てた方がいいんじゃない?」という質問をよく頂きますが、これをきっかけに、自分の考えや、みんなに伝えたいことを日記に纏めたいと思います。
モノの価値と必要性
よく「物を大事に」と言われます。私も、親にそう言われて育ってきました。
しかし、「資源をむやみに捨ててはいけない」気持ちが強くて、いざ物を捨てなくてはならないとき、「勿体無い」と罪悪感に陥っていませんか。
または、捨てることを躊躇って、部屋中モノだらけになっていませんか。
でも、私たちはライフスタイルの変化で、必要とするものが変動しているのです。
部屋を見渡すと、こんな「不要なモノ」がたくさん。
- 読み終えた書籍
- 「書籍」のように一度読んでしまうと、不要となってしまうモノ。
- 必要性の変化により不要となったモノ
- 「卒業」「結婚」「出産」などライフスタイルの変化で、人が必要としているものは変化する。
- 価値観の変化で価値を感じられなくなったモノ
- 自身を取り巻く「環境」や「経験」により価値観は変動し、それに伴い欲求も変化する。
- 「必要性」と「欲求」の混同…そもそも不要なモノ
- 「これは必要だ」という衝動に駆られて次々に新しいモノを買ってしまう。よくよく考えると、それは本当に必要ではなかった「衝動性の欲求」なのかもしれない。時既に遅し。
私たちの生活は常に変化している。だからこそ、「必要なもの」から「不要なモノ」になってしまうのは、当然の成り行きかもしれません。
「使い捨て」の時代から「継承」へ
では、不要になったものをバンバン捨てるのはどうなのか?ということについて。
「楽になりたい」という人の欲求で、「使い捨て製品」や「使い捨て行為」が当たり前のようになっている。
もちろん、使い捨ての恩恵により、人はこれまで得られなかった「時間」を得られるようになった。捨てることは簡単なように思えるし、逆に「繰り返し使い続ける」という時間の「手間」は、目先の利益だけを考えると「時間の損失」や、大袈裟に言うと「機会損失」になっているかのように見える。
しかし、そのような使い捨て行為を繰り返すことによって「時間」を得られた分、環境はみるみるうちに破壊される。未来の子供たちは、今まで以上に環境問題で苦労してしまう事は容易に想像できる。
資源は無限ではなく有限。限りある資源を、繰り返し使い続けるにはどうしたら良いか?という自身の問いに、私は「必要とする人へ継承する」ことを選びました。
未来を担う学生たち、若手エンジニアへの「継承」
例えば、技術書を読み終えたとする。その技術書は自分にとっては既に不要かもしれない。一方で、学生や若手のエンジニアは必要としているけど、金銭的な問題等で「本当は読みたいけど読めない」人が、この日本のどこかに居るかもしれません。
そのように、必要としている人へ継承され、読み終わってまた継承されることによって、これからの日本を支えるエンジニアが育ってくれたら。願わくば、グリーンITなど環境に考慮したシステムを作ってくれたら、自分の暮らしにも還元されるかもしれません。(※もちろん、書籍については今後は電子書籍化されるでしょうが、完全移行にまだ数年掛かると思います。)
皆さんもLivlisで始めてみませんか?
「捨てる」から「必要としている人へ継承する」ことによって地球環境に貢献できるし、継承先の人材の育成にもなる。もちろん、その行為は「捨てる」行為よりも「ちょっとした手間」になってしまうかもしれないけど、長い目で見て考えると、自分にとってプラスの作用で還元されるかもしれない。
Livlisなどのサービスを通して、不要なモノを必要としている人へ継承することを始めてみませんか。